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横浜の劇場 1 外国人居留地には異人たちが故国と変わらない生活を持ち込んだので直輸入の西洋文化を見れるとなって、横浜の劇場には多くの著名な日本人が訪れている。特に横浜居留地は貿易港として成功をおさめることになるが、産業・商業行為だけに止まらず宗教やジャーナリズム、演劇やスポーツを始めとする活動が盛んに行われ、日本人の生活に多大な影響を与える多種多様なものの発祥地ともなる。 今月の一枚はそんな横浜居留地の劇場風景である。資料によれば、栄えある第一号は元治元年(1864年)に同地102番地に開かれたアンフィシアター、続いて出来たのが135番地に開かれた会芳楼で、三番目に出来たのが横浜居留地の68番地で開かれたゲーテ座になり、明治3年(1870年)にこけら落しをしている。左上新聞のイラストは文久3年(1863年)9月に発行されたイラストレイテッド ロンドンニュースのひとこまであるが、横浜湾の洋上公演とあるので、当時の居留地における生活ぶりを伺い知る記事として掲載した。 また、もう一枚はF.ベアトによる居留地のアマチュア劇団の写真で慶応元年~2年(1866年~67年)頃の撮影と思われるが、まだ専属の手彩師によるカラーリングでない。

横浜の劇場 ゲーテ座 本町通り68番地に建てられたこのゲーテ座(Gaiety Theater)は1870年(明治3年)12月6日オランダ人ヘフトによって開設された。容易に居留地外を出歩けなかった居留民のための娯楽の場として劇や音楽会が催された。初演は「アラディン」だったという。後に居留民の集会や教会行事のためのパブリック・ホールとして運営されることとなる。 また山手にも1885年(明治18年)フランス人建築家サルダ設計で、居留外国人のためのより広い「パブリック・ホール」が開場(後に「ゲーテ座」と改名)。外国人が主体の劇場ではあったが、西洋文化の発信地として芥川龍之介や坪内逍遥、小山内薫、谷崎潤一郎、滝廉太郎などの著名な日本人が通いつめた。現在の岩崎博物館が山手ゲーテ座跡地の一部に当たる。

横浜在中の外国人によるショー 横浜在中の外国人によるショー
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最後は横浜居留地の劇場風景、居留外国人によるショーの写真を掲載。
三枚の写真は先述のゲーテ座の写真として入手したものだが、芝生が写っていることから、ゲーテ座ではなく山手178番にあったフェリス女学校内のヴァン・スコイック・ホールの可能性もある。 居留民の娯楽のためアマチュア劇団によるショーなどが行われた。






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