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 今月は遣米使節団紀行の断片を切り取った興味深い(勝手にそう思っている)画像を紹介。



 遣米使節団一行が1860年2月9日品川沖でポーハタン号に乗船、横浜に4日停泊した後、サンフランシスコに向け出港した。その途中、3月4 日石炭補給のためにホノルルに寄港、3月17日にホノルルをあとにして3月28日にサンフランシスコに到着した。

 使節団はサンフランシスコに9日間滞在した後、パナマに向かい4月24日に到着すると、パナマ地峡鉄道の特別列車にて陸路を行ってアスペンウ ォールを目指し、大西洋に到達した。一行は待ち受けていたロアノーク号に乗船、4月26日に出港して目的地ワシントンに5月15日に到着した― 使節団の最大の任務であった批准書の交換を無事済ませた。

その後、一行はフィラデルフィアを訪問、6日間滞在してからニューヨークに6月16日に到着した。



 ニューヨークでは空前と言われる大歓迎を受けるが、13日間の滞在後、ナイアガラ号にて帰国の途についた。大まかな日程を述べたが、ついでに 使節団副使村垣が書き残した日記にまつわるワシントンでの逸話を披露。




 「3月28日は大統領との会見の日だった。3人の使節は武家の正装の狩衣(かりぎぬ)に萌黄色の烏帽子(えぼし)をかぶり、立派な飾り太刀を つけた。お付の役人も夫々その格により布衣(ほい)や素袍(すおう)、麻裃で正装した。儀仗兵や騎兵隊、楽隊と共に条約批准書を入れた飾り箱が 進み、お付の役人と共に夫々一人づつ米国の案内人をつけた3使節の馬車が続いた。

一行はホテルを出てホワイトハウスに向かったが、沿道には相変わらずものすごい見物の人垣ができた。使節団一行は誇り高々に進んだ。村垣は自分 たちが正装の狩衣を着て、こんな夷狄の国に来て皇国の光を輝かせる心地がし、おろかな身の程も忘れ誇り顔で行進するのもおかしかったと言い、こ の国では狩衣の正装も無益だとも書き記した。また、ニューヨークにおいて、市長が催してくれた大舞踏会を見ておかしくて笑いをこらえたと書き残 した」。




 一方、儀式を見た米国人たちはサムライたちの華麗な衣装とその威厳ある態度におおいに感銘を受け、その振る舞いが米国人の親愛と尊敬を集める ことになったとある。

それは貴族文化でなく、また町人文化でもない。少々飛躍した物言いであるが、築き上げられたサムライ文化が日本の植民地化を防いだのだと思った 。














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